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2008年2月17日 (日)

危機からの脱出!

去る2001年9月11日アメリカで同時多発テロが起きた。日本の景気は急激に悪くなり、失業率も増え続け、5%以上にまでなってしまった。企業は次第に体力を失い、倒産する企業も少なくなかった。その中に県内最大手企業だった新潟鉄工もあった。新潟鉄工の取引先件数は数百件にも及び、取引先企業の負債額の極秘資料も外部に漏れ、製造業関係者全般の目にふれることになった。さらに悪いことに、景気が悪くなると必ず増えるのが犯罪や、自殺。特に子供に関するさまざまな事件は特に心が痛む。そして、自殺に関しては未だに年間3万人を超えるというから驚きだ。
弊社は、新潟鉄工とは取引がなかったが、当然景気の波に襲われた。
予定の仕事が急にキャンセルになり、仕事量が毎月減っていく。
親会社に予定を聞いてもはっきりした回答が得られない。皆、仕事がないのだから仕方がないのはわかっている。わかってはいるがこっちも真剣だから聞くしかない。
とうとう、この年の売り上げは過去最悪になった。
 そしてインターネットでいろんな会社に電話をしまくった。コネなど何もない状態で電話をしてたのだから信用などまったくない。まともに話を聞いてくれる所などほとんどない。鼻で笑われ、いやみを言われ、給料にもならない見積もりをしても高いと言われ、ある所はサンプルを送るからお願いします。と言ったきり途絶えることもあった。給料を払うために個人の通帳からほとんど引き落としてもまだ足りない。銀行も貸し渋りになってくる。とうとう社長の口から、小さい声で「やめようか」という声が聞こえた。「もう少し探すから待ってくれ」と言ってはみたものの、当てはまったく無かった。最悪の状況だ。
しかし、なんとこの後奇跡が起こった

それから、しばらく仕事のない日が続き、出勤はしているものの一日中本を読んだり、買い物に行ったりしていた。平日、買い物に行った時のこと、同業者の知り合いとばったり会った。「よう、どうしたの。こんな時間に」 「いや~仕事がなくてさ~」それから約一時間程話してから会社に戻った。本当はもう帰りたかったが戻ざるをえない。
相変わらず工場は静かで、従業員は掃除や整頓をしている。
他社に様子を伺おうと顔を出すと、やはり暇なのか活気がない。
「社長、どう、景気は?」 「見ての通りだよ、まっ、コーヒーでも飲んで行きなよ」 いろいろ話していると、他社の社長が「こんちわ~仕事がないから遊びにきたよ~」 という状況だ。まさに失業者同然だった。
そんなある日のこと、一本の電話が入った。なんとその会社は自動車金型メーカーの最大手のS社だった。インターネットで探し、電話をかけまくった中の一社だったのだ。「一度、お話を聞きたいので来て頂けませんか」「はいっ、是非伺わせて頂きます」 と答えた。
しかし、一抹の不安があった。
やってもらいたい仕事というのが、実は社内の設備にあまり合っていないのだ。それでもせっかくのチャンスだから行くしかなかった。
そして社長に行ってもらい、自分たちは情報収集に努めた。心配しながら待っていると電話が鳴った。それは社長からの電話だった。 
「試作をすることになったよ、それも、社内の設備に合っている物をね」
社長が工場内を見せてもらっている時に、なんと、たまたま行った日に他の外注先からその品物が納品されていたのだ。担当者に「この品物なら得意なんですが」というと、「実は、今度中国でやるかもしれないんですよ~」と言われたが、「それでもいいから試作をさせて下さい」と言ってきたということだ。
そして、さっそく試作を開始した。しかし、その矢先S社から電話があり、中国でやることが正式に決まったので試作はしなくてもいいという連絡が入ってしまったのだった。また振り出しに戻ってしまった。
気を取り直し、まずは整理整頓から取り掛かった。いらない紙や図面がたくさんある。メモ用紙にしようと思い、確認しながら破いていく。そのとき、目に止まった一枚の図面があった。それはなんと、試作をした品物とほとんど同じではないか。社名を見ると違う社名だ。そこはなんと、S社とライバル関係にあるO社だった。
子会社の名前もあったので、まずはそこに電話してみた。そこで言われたのは、同じ製品をM社でも扱っているという情報だった。まとめると、同じ製品を扱っている会社がいくつかあり、その中でもS社、O社、M社の3社がトップ3だということがわかった。子会社にO社と話をしたい旨を伺ったところ、「たぶん、相手にされませんよ」という回答だった。なんとかO社と連絡を取りたい。しかし、直接電話をすることに対して今までにない緊張感があった。それもそのはず、年商500億~800億の巨大企業なのだ。全国に拠点を持ち、金型事業はその一部でしかないのだ。しかし、怖気づいている場合ではないのだ。早速電話をしてみると、O社も、日本ではしてくれる所がないので中国を検討してたところだった。見積もりを見て、これなら日本でも出来ると思ってくれた。
さっそく担当者が訪れて、試作の依頼を頂いた。そして、見事に合格して継続的に仕事をさせてもらうことになった。考えてみれば、メモ用紙にしないで捨てていたら・・・
しかし、まさか一部上場してる巨大企業と直接取引が出来るとは思わなかった。
図面が目に止まったこと、中国へ行く前だったこと、S社と同じ製品だったのでスムーズに進行したこと。なんというタイミングであろうか。5年経った今でもこれは奇跡に近いと思ってる。たまに、O社の人も「よくこの会社とコネも無いのに取引できたね~」と、言われるときがあるぐらいだから。
でも、奇跡はこれで終わりではなかった。
だれが予測出来たであろうか。翌年、本当の奇跡が起こることを!!
確かに奇跡は起こった。しかし、ここからがスタートだ。ここからが本番なのだ。相手は並みの会社ではない、巨大企業なのだ。まったく信用がない状態でスタートするのだからつまずくわけにはいかない。最初は見積もりから始まるが、違う種類の品物だから相場がわからないのだ。もう自分なりに計算と勘で出すしかない。
ここでコストが高いという印象を与えては全てが水の泡となる。ようやく価格を出し提出した。まるで、テストで合格するかどうかの緊張感だ。翌日、FAXが届いた。

O社 「さっそく試作をして下さい。」

やった~。手ごたえを感じた。それからしばらく見積もりをして試作という作業が続き、あっという間に2ヶ月が過ぎていった。しかし、なかなかリピートが来ない。そのうち連絡も来なくなってしまった。
「S社ですが」なんと、S社から電話が入ったのだ。

S社 「前に試作をしてもらった仕事を出したいのですが」

唖然とした。確か中国へ行ったはずではなかったのか。そして、電話の声はあの時の声ではなかった。
2年前のことが今頃になって、いったいどうしたというのだろう。聞くと、あれから中国でやってはみたものの品質や納期のトラブルで思うように行かなかったというのだ。
そして、いざ日本でやろうとした時には、今までの外注先の設備が変わっていて、いろいろ探したがどこもやってくれるところがなく、資料を調べてたら弊社の名前が出てきたというのだ。しかし、今はライバルであるO社の仕事をやっている。それでもいいからやってくれという。そして、ぜひ伺いたいというからびっくりした。
さっそく2人でやって来た。そしてデータを見せてもらった。信じられない数だった。話によるとS社がこの製品ではダントツトップだということがわかった。ということは、S社の仕事をすれば必然的に日本一の生産量になるのだ。こうして、2社の仕事をすることになった。その翌年の2004年になるとS社の違う製品もすることになった。(品名は同じだが仕様が違う)

ついに日本一になった。日本一の生産量になった。

まさかトップ3のうち2社の仕事をすることになるなんて、夢にも思わなかった。そして、しばらく経ったある日のこと、今まで気になっていたことを社長に話した。O社はまだS社の仕事もしてることを知らないのだ。
社長も判断に迷っている。オープンにすべきか黙っているか。お互いライバル企業同士、もしO社が知ったらどうなるかわからない。判断に迷う。
黙っているのは気が引けるので、オープンにすることにした。O社はびっくりしたが事情を説明したら納得してくれた。これで、正々堂々仕事ができる。それから徐々に仕事が安定していった。そして、2005年度はバブル期に次ぐ売り上げにすることが出来た。

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